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ともに暮らすということ

 

 

育成環境も、年齢も、性別も、国籍すら異なる人達と一緒に暮らす、ということについて

覚悟をして置いた方がよいことがあります。

それは「私」と「あなた」は違う考え・違う感覚の持ち主なので、
基準も違うということです。

 

どんなひとでも「自分」を基準にモノを考え行動します。

それは当然のことです。

育ってきた環境は、誰一人同じではないのですから。
 

基準は「ひとそれぞれ」です。
あなたが「正しい」と思うことでも
ほかのひとには「正しくない」ことかもしれません。

 

そういった基準は人それぞれ違う上に、
何人かの異なる人が集うと
その人達の組み合わせによっても
「快適に暮らす」基準がことなります。

 

誰かと共に暮らすには、
これが「正しい」のでそうしましょう、という追随的な考えや行動より、

「自分もみんなもご機嫌に、
 心地よく日々を送るためには、
 どうしたらいいかな?なにができるかな?」

と自分で考え、考えたことを話しあうことが大事です。

 

そうすると、
自分だけでは思い浮かばなかったことや、
新しいやり方が見つかったりして、

より自由で、より良い選択になる可能性が高いです。

なので出来るだけたくさん話がしたいと思っています。

 

コミニュケーションはしすぎて困ることはありません。

むしろなくては始まらないことばかりです。

けれども、ときには、疲れてコミニュケーションしたくないときだってあります。

 

そういうときは
「今は疲れているから、あとでね」
と言う選択も、
あなたはすることができることを思い出してください。

 

どうか、あなたとわたしたちが、
ごきげんに暮らせますように。

 

 

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